これは、「詩」なのか、何かのセリフなのか。
目的もなく選局したラジオをクルマの中でぼんやりと聞き流していた。
ぶっきらぼうに「金(カネ)がきたら」、という直截な言い方で、買いたいモノが列挙されていく。
それはこんな風に始まった。
金がきたら
ゲタを買おう
そう人のゲタばかり かりてはいられない
金がきたら
花ビンを買おう
・・・・・・・・・
そうしたフレーズがいくつか繰り返されるうちに、不意に「レコード」という音の連なりが聞こえ、
耳をそばだてた。「レコード」は「レコード入れを買おう」、という言い回しに出てきたものだった。
その後特段の事件は起こらず、声の主は「詩」の朗読であることを告げた。
詩人の名も、題名もそのとき併せて電波に乗ったかもしれない。だが、悲しいかなメモも取れず
貧弱な記憶力ではその名を覚えてしまうことも適わなかった。ただ、自由にできるお金を手にし
たら、ゲタやヤカンを買ったりするのと同様に「レコード入れ」を買いたいと思っている暮らしの
様子、散らかった部屋で大切にされている音盤と再生される音楽に寄せる気持ちにはシンパ
シーを覚えた。
幾日か過ぎて、それとはなしに「金がきたら」で検索すると、たちどころに「竹内浩三 金がきた
ら」がヒットすることに不明を恥じた。1945年に20代前半で没した若者の心に届いた音楽のこと
を夢想する。あの頃の二ホンで「レコード」を大切にしたいという真っ直ぐで健気な気持ちには、
モノはあふれ返り、膨大な情報が飛び交う下の私たちとは全く異なる切実な思いが満ちてい。
る。
「いつ踏んで わってしまうかわからない」から買いたい「レコード入れ」に納めるはずのSP盤も
このところ無責任にリバイバル現象として扱われことの多いLP も「レコード」と呼称する私たち。
記録(レコード)された板には音楽が刻まれている、と信じること。その心根だけは「金がこなくて
も」忘れてしまわないようにしたいものです。